らんまん関東大震災は実話?牧野富太郎は地震被災を楽しんでいた史実も!

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らんまん関東大震災は実話!牧野富太郎博士は地震を楽しんだ!?
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1923年に発生した関東大震災。

現在放送中の朝ドラ「らんまん」で、主人公たちが被災してしまうシーンが描かれます。

実際に、牧野富太郎博士も東京で地震に遭っていたのでしょうか?

調べてみると、牧野博士の「意外な体験談」が発見されました。

そこで今回は、

  • らんまんで描かれた関東大震災は実話?
  • 史実では牧野一家はその後どうなった?

についてご紹介します!

目次
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【らんまん】万太郎・寿恵子たちが関東大震災で混乱!

植物学者・牧野富太郎をモデルにした朝ドラ「らんまん」。

物語も終盤に近づき、2023年9月20日(水)の放送回では、

関東大震災

が描かれます。

ついに、万太郎の「植物図鑑」が完成に近づいた頃・・・

1923年9月1日の11時58分。

経験したことのない大きな揺れが万太郎たちを襲います。

この地震の影響で至る所で火災が起き、万太郎たちは持てるだけの標本を持って「渋谷」へ避難します。

大正12年9月1日。

万太郎(神木隆之介)の図鑑はついに完成しようとしていた。

万太郎は、永守がいる神戸に旅立つ準備を、寿恵子(浜辺美波)と千歳(遠藤さくら)は、いつものように昼食の準備をしていた。

その時―、関東大震災が発生。

火災も起き、各地で甚大な被害が出る。

大畑印刷所で働く虎鉄(濱田龍臣)は、大畑(奥田瑛二)と共に消火活動に。

万太郎、千鶴(本田望結)たちは持てるだけの標本をもって渋谷へと避難する。

引用:Yahoo!テレビ

万太郎たちの長屋は、東京の下町・根津にある設定で、渋谷エリアは震災による甚大な被害は免れていた。

当時の揺れは、マグニチュード7.9。

関東大震災では、340万人以上が被災、死者・行方不明者は14万人以上と推定されています。

ちょうどお昼時に発生したことから、多くの火災が起きて被害が拡大してしまったのです。

ドラマ内でも、東京の町は火災で焼き尽くされてしまいます。

震災から約1ヶ月後。

万太郎は、道端にちょこんと咲く「ある花」に胸を打たれます。

その花とは、

「ムラサキカタバミ」

です。

万太郎は、その生命力の強さに勇気づけられるのです。

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【らんまん】関東大震災は実話(史実)?牧野富太郎の地震体験が意外すぎる

万太郎のモデルになった牧野博士も、関東大震災に遭っていたのでしょうか?

調べたところ、「実話(史実)」だということが判明しました!

当時、牧野博士は61歳。

東京帝国大学理科大学講師となって10年が過ぎようとしていた頃でした。

当時の牧野博士の実際の住居は、根津ではなく「渋谷」です。

渋谷といえば、妻の寿衛(寿恵子のモデル)が待合茶屋を経営している場所と同じ。

寿衛の店とは異なる場所に、自宅もありました。

自宅で被災した牧野博士は、

揺れるのを楽しんでいた

生きている間にもう一度大地震に出逢ってみたい

という驚きの感想を語っているのです。

大きな揺れが怖くなかったのでしょうか?

実は、関東大震災で最も揺れが大きかったのは、神奈川県西部。(震度7)

東京都心の揺れは、震度5強〜6強で、そこまで大きくなかったと言われています。

実際、牧野博士の自宅の被害は「瓦が落ちた程度」だったと言います。

そのため、牧野博士は「揺れを楽しむ」という余裕もあったのだろうと推測できます。

ただ、「天変地異」にも興味を示し、地震を楽しむ牧野博士・・・

やはり平凡な人物とは異なる感覚としか言いようがありません。

自叙伝では、関東大震災での体験を次のように語っています。

震災の時は渋谷の荒木山にいた。

私は元来天変地異というものに非常な興味を持っていたので、

私はこれに驚くよりもこれを心ゆくまで味ったといった方がよい。

当時私は猿股一つで標品を見ていたが、

坐りながらその揺れ具合を見ていた。

その中隣家の石垣が崩れ出したのを見て

家が潰れては大変と庭に出て、

庭の木につかまっていた。

妻や娘たちは、

家の中にいて出てこなかった。

家は幸にして多少の瓦が落ちた程度だった。

余震が恐いといってみな庭に筵(むしろ)を敷いて夜を明したが、

私だけは家の中にいて揺れるのを楽しんでいた。

引用:「牧野富太郎自叙伝」(長嶋書房 1956年)

さらに、「もっと揺れを観察しておけばよかった」と後悔すらしていたようですよ。

何と言っても地が四、五寸もの間左右に急激に揺れたのだから

その揺れ方を確かと覚えていなければならん筈だのに

それをさほど覚えていないのが

とても残念でたまらない……

もう一度生きている中に

ああいう地震に遭えないものかと思っている。

引用:「牧野富太郎自叙伝」(長嶋書房 1956年)

2023年の今年は、関東大震災からちょうど100年です。

防災意識の醸成のためにも、「万太郎が地震を楽しむ」という実話に基づく流れはさすがに放送できないでしょうね・・・。

ちなみに、ドラマで描かれる万太郎の性格について、「イライラしてしまう」という意見も多いようです。

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【らんまん】関東大震災で被災した牧野富太郎のその後は?

渋谷の自宅で被災した牧野富太郎博士。

その後の生活はどうなったのでしょうか?

ここからはネタバレが含まれますのでご注意を!

この頃、ドラマの万太郎と同じく、牧野博士はなんとか資金を集めて「植物研究雑誌」の出版目前まで来ていました。

しかし、関東大震災の火災により、印刷所ごと焼けてしまうのです。

そのため、「植物研究雑誌」も一部が焼けてしまいました。

火災に懲りた牧野博士は、

標本を火災から守るために郊外に引っ越す

ことを決断します。

命のように大切な標本ですからね。

さて、その引越しの資金は・・・?

妻・寿衛の待合茶屋は、関東大震災後の不況で貸し倒れが続き、経営が悪化していました。

そのため、店を売却し、その資金で郊外に家を建てる計画をするのです。

寿衛は、その資金で自宅だけでなく、「標本館」と「植物園」を作りたいと・・・。

そうして牧野博士たちが移住した先は、現在の「練馬区東大泉エリア」

ここが、牧野博士たちの初めての夢のマイホームでもあり、最後の家となります。

この牧野博士の自宅は、現在も「練馬区立牧野記念庭園」として残されていますよ。

牧野記念庭園

〒178-0063 東京都練馬区東大泉6丁目34−4

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