朝ドラ「ブギウギ」で鈴子が入団した「梅丸少女歌劇団(USK)」。
この歌劇団は、当時の「松竹楽劇部」で、現在の「OSK日本歌劇団」です!
2022年に創立100周年を迎えたOSKは、その歴史は山あり谷ありで、一時は解散にまで追い込まれていたのです。
そこで今回は、USKのモデルであり、現在の「OSK日本歌劇団」の歩み、笠置シヅ子さんの活動を振り返っていきます!
【ブギウギ】梅丸少女歌劇団(USK)のモデルは松竹楽劇部!
戦後のスター歌手・笠置シヅ子氏をモデルにした「ブギウギ」。
小学校を卒業したヒロイン・鈴子は、歌と踊りが大好き。
親友からの勧めもあり、当時有名だった「花咲音楽学校」を受験します。
しかし、身長が小さいために、花咲に落第してしまいます。
落ち込んでいた鈴子でしたが、父に誘われて行った「梅丸少女歌劇団(USK)」の公演を見て感動。
それが、梅丸少女歌劇団との出会いでした。
すでに研修生の募集は終わっていたのですが、熱意が届き、オマケで入団することが許された鈴子。
厳しい先輩に怒られながら、同期とぶつかり合いながらも、成長していきます。
鈴子は、この梅丸少女歌劇団によって、舞台人としての姿勢を徹底的に身につけ、黄金時代を築いていくのです。
【ブギウギ】梅丸少女歌劇団(USK)のモデルの歴史が壮絶!現在は?
ブギウギで描かれる「梅丸少女歌劇団(USK)」のモデルは、
松竹楽劇部
です。
その後、何度も名称を変え、現在も「OSK日本歌劇団」として運営されています。
2022年で100周年を迎えたOSK。
劇場が空襲で焼けてしまったり、親会社の不況で解散に追い込まれたりと激動の歴史を乗り越えてきていたのです。
OSK日本歌劇団の特徴
「宝塚は知っているけど、OSKを初めてきいた」そんな人も多いかもしれません。
まずは、OSKの概要や特徴から見ていきましょう。
1922年創設のOSKは、大阪に本社を置く劇団で、宝塚などと並び、日本三大少女歌劇の1つです。
- 宝塚歌劇団
- 松竹歌劇団(SKD)
- 日本歌劇団(OSK)
昔から、「歌の宝塚」「ダンスのOSK」と言われるほどダンスに定評があります。
特に、高く足を上げる「ラインダンス(通称:ロケット)」はOSKを象徴する人気のダンス。
また、OSKの人気レビュー「春のおどり」のフィナーレはピンクの傘を回しながら、テーマソングである「桜咲く国」を歌うのが名物です。(通称:桜パラソル)
ちなみに、この「桜咲く国」を作曲したのは、ブギウギの林部長のモデルである「松本四良」さんです。
昭和の前半までは、OSKも宝塚のように「松組」「竹組」「梅組」などに分かれている時代もありましたが、現在は1チームです。
一方で、「年功序列制」の宝塚とは違う特徴がありました。
長年、OSKは「実力主義」で、先輩も後輩も関係なく、総合的に判断される厳しい世界だったそうです。
しかし、2021年度からは、OSKにも年功序列の制度が導入されています。
現在、OSKのトップスターは1人。
序列の最上位の男役が選ばれるようになっています。
#OSK日本歌劇団 の男役トップスターは楊琳さんです
— 二部式部 (@nibushikibu) October 7, 2023
だいたいいつもこんな感じで素敵なので、#ブギウギ 見てOSKに「お!」ってなったら、11月の南座公演見に来てね😄
(写真は去年の近鉄アート館公演公演)https://t.co/KNSxUngUpP pic.twitter.com/w9ujmM0QVT
また、娘役の序列上位2人が交代でヒロインを務める形となっており、実質の「トップ娘役」という立ち位置です。
宝塚は、トップスター1人に対してトップ娘役が1人ですので、「OSKはお嫁さんが2人」なんて言われたりもするんだとか。
OSKが誇るトップ娘役さまたち#舞美りら#千咲えみ#OSK日本歌劇団#桜まつり pic.twitter.com/4OqffIzs17
— AsaCo (@AsaCo_theater) August 21, 2022
現役の劇団員がブギウギ出演
朝ドラ「ブギウギ」には、OSKの翼和希さんも出演しています!
翼和希さんはOSKの男役スターで、入団10年目。
同期には、娘役トップの「千咲えみ」さんがいます。
翼和希さんが演じるのは、梅丸の厳しい先輩「橘アオイ」役。
蒼井優さん演じる大和礼子と共に踊る姿はキレキレで、存在感がさすがでした。
このように、朝ドラにOSKが取り上げられることに対して、トップスターの楊琳さんは、「OSKならではの生命力の強さ、逞しさ」を感じてほしいと語っています。
OSKの魅力は生命力の強さ、たくましさです。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/bdc9264141665a3f8308c307ae0ca135aca5fa35
ただ、きれいなだけではない。
今の世の中だからこそ、無条件で楽しめる時間をお届けできる劇団です。
ドラマの中では『強くたくましく泥臭く艶やかに』が合言葉として出てきますが、OSKはそこにパワフルさや、雑草魂、人間味、というのも加えられると思います。
実は、この「たくましさ」「雑草魂」には、OSKが乗り越えてきた数々の試練が関係していると言えます。
少女たちのストライキ
OSKは、1922年に松竹社長の発案により「松竹楽劇部」として発足したのが始まりでした。
その後、飛鳥明子(大和礼子のモデル)や笠置シヅ子らの活躍もあり、人気の劇団として成長。
東京にも進出し、楽劇部が誕生しました。(後の松竹歌劇団=SKD)
そんな中、1933年、不況の煽りを受けた松竹側から一方的に「賃金の削減」の通告があります。
それに怒った劇団員たちは、待遇の改善を求めるストライキ(通称:桃色争議)を決行。
笠置シヅ子らも高野山の寺にこもる事態に。
マスコミも含めて大騒ぎとなったこの出来事で、結果的には要求が認められるのですが、トップスターらが責任をとって解雇されたり謹慎処分を受けてしまいます。
空襲で劇場が焼失
その後、柏ハルエ、アーサァ美鈴といった男役スター、笠置シヅ子の歌うスウィングジャズや、スピーディーなタップダンスが人気を集めました。
しかし、戦争が始まり、アメリカ映画の上演が禁止され、公演で扱う演目に対してもさまざまな制限が加えられていきます。
そんな中、1945年3月14日未明「大阪大空襲」を受け、当時の本拠地であった大阪劇場が焼失してしまうのです。
しかし、旧本拠地であった「大阪松竹座」は奇跡的に残っていため、公演を再開。
終戦の1ヶ月後にも、いち早く舞台を再開し、敗戦で荒んだ人々の心に光を照らしたのでした。
ちなみに、笠置シヅ子はすでに上京していたのですが、東京で空襲に遭い、自宅が焼けてしまったそうです。
親会社の支援打ち切り
その後、時は流れて昭和45年、劇団名を「OSK日本歌劇団」と改めます。
OSKは、近鉄グループの傘下となり、本拠地を「あやめ池円形大劇場」に移しました。
しかし、創立80周年を迎えた2002年(平成14年)、突然、近鉄の支援の打ち切りが通告されてしまいます。
劇団員たちは諦めず、「OSK存続の会」を結成し、20万人分の嘆願署名を集めるのですが、近鉄の決定は変わらず、一旦解散となってしまいます。
劇団解散後も団員は存続運動を続け、その支援をしていたコンサルタントを社長として会社を設立することに。
劇団員たちの「OSKの歴史を繋ぎたい」という熱意が届き、2004年には、大阪松竹座での「春のおどり」が66年ぶりに復活。
さらに、新人の育成も再開され、残留した団員23名で、OSKの新たな歴史が始まったのでした。
スポンサー不足で赤字続き
その後も松竹座などで定期公演を軸に活動していたOSK。
残念ながら、大きなスポンサーがなく、赤字経営が続いていました。
劇団員への給料の支払い遅れなどが続いたため、自主再建を断念。
2007年、大阪地方裁判所に民事再生法による再生手続き開始申請を行いました。
その後、吹田市のイベント企画会社「ワンズ・カンパニー」に事業譲渡され、2009年には株式会社として独立。
2013年からは、大阪のITコンサルト会社「ネクストウェア」の支援で、マネジメントやマーケティング分野が改善されたため、観客が増加していきました。
OSKの収益は大きく改善し、黒字決算をあげるにまで復活したのでした。
このように、OSKは地元に愛されて支援され続けてきたことも、100年の歴史が続いた要因であると言えるでしょう。
OSKと笠置シヅ子の歩み(年表)
このように幾多の試練を乗り越えてきたOSK。
笠置シヅ子の軌跡とともに、OSKの歴史を年表をまとめました。
1922年 | ・大阪・天下茶屋に「松竹楽劇部生徒養成所」開設 |
1923年 | ・第1回公演「アルルの女」を大阪松竹座のこけら落としで上演 |
1927年 | ・笠置シヅ子(13)が入部 ・三笠静子の芸名で初舞台 |
1928年 | ・東京松竹楽劇部(後の松竹歌劇団=SKD)発足 ・シヅ子(14)も上京して出演 |
1933年 | ・東京と大阪で労働争議(ストライキ)勃発 ・シヅ子(19)も高野山にこもる |
1934年 | ・本拠地を大阪劇場に移す ・大阪松竹少女歌劇=OSSKに改称 ・シヅ子(20)の「恋のステップ」レコードデビュー |
1936年 | ・三笠静子→笠置シヅ子に改名 |
1938年 | ・男女混合の劇団「松竹楽劇団=SGD」創設 ・シヅ子(24)上京、作曲家の服部良一と出会う |
1939年 | ・シヅ子(25)はSGDの中心スターへ ・コロムビア専属歌手となる |
1941年 | ・松竹楽劇団=SGDが解散 ・「笠置シヅ子とその楽団」を結成 |
1943年 | ・大阪松竹歌劇団=OSKに改称 ・シヅ子(29)が後の婚約者と出会う |
1945年 | ・大阪劇場が空襲で被災 ・4ヶ月後に上演再開 |
1947年 | ・シヅ子(33)が女児出産 ・「東京ブギウギ」が大ヒット |
1952年 | ・シヅ子(38)がNHK紅白歌合戦に初出場 |
1957年 | ・シヅ子(43)は歌手廃業を宣言 ・女優業へ転身 |
1967年 | ・OSKが本拠地を奈良・あやめ池円形大劇場へ移す |
1973年 | ・OSK日本歌劇団50周年式典にシヅ子(59)出席 |
1985年 | ・シヅ子(60)卵巣がんのため永眠 |
2003年 | ・親会社の近鉄が支援打ち切り ・一時解散へ |
2004年 | ・「OSK存続の会」が大阪松竹座で上演 |
2007年 | ・民事再生手続きを開始 ・ワンズカンパニー傘下となる |
2009年 | ・株式会社OSK日本歌劇団として独立 |
2022年 | ・創立100周年を迎える |
2023年 | ・シヅ子をモデルにした「ブギウギ」放送 |
まとめ
いかがだったでしょうか?
ブギウギの梅丸少女歌劇団(USK)のモデルは「松竹楽劇部」で現在の「OSK日本歌劇団」でした。
100年の長い歴史の中で、度重なる試練があったからこそ、OSKらしい「生命力」「パワフルさ」が培われてきたのだと感じますね。
そんなOSK日本歌劇団をこれからも応援していきましょう!
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