趣里さんがヒロインを務める朝ドラ「ブギウギ」。
鈴子たちが所属する梅丸少女歌劇団は、給料の削減などに抗議してストライキして、山寺にこもるシーンが描かれました。
これは実際に起きた実話なのでしょうか?
そこで今回は、笠置シヅ子氏の史実から、ストライキ(桃色争議)についてご紹介していきます!
【ブギウギ】大和礼子がリーダーとなってストライキが実行!
戦後のスター歌手・笠置シヅ子氏をモデルにした朝ドラ「ブギウギ」。
劇団の少女たちがストライキする場面が描かれました。
昭和8年(1933年)、梅丸少女歌劇団は関西で人気の劇団に成長し、公演も増えてきていた頃。
スズ子も中心人物として稽古に励む日々でした。
そんな時、不況により、一部の劇団員がクビにされ、給料が減額される人も出てきました。
これに怒ったのは、大和礼子(蒼井優)。
大和礼子がリーダーとなって、梅丸側と交渉します。
しかし、一時金を支払って済まそうとする会社側の態度に抗議し、「ストライキ」を実行するのです。
大和礼子が中心となり、スズ子たちは山寺に立てこもりました。
【ブギウギ】ストライキ(桃色争議)は実話?史実を調査!
「ブギウギ」で描かれた、梅丸少女歌劇団の劇団員たちのストライキ。
これは本当の話(実話)なのです。
当時は「桃色争議」としてマスコミに取り上げられた一大事でした。
詳しく見ていきましょう!
発端は東京・浅草
梅丸少女歌劇団のモデルとなっているのは、大阪の「松竹楽劇部」です。
その後、松竹は東京浅草にも拠点を置き「松竹少女歌劇団」を発足。
最初に「桃色争議」と言われる労働紛争を起こしたのは、東京の姉妹劇団である「松竹少女歌劇団」の方でした。
世界的な不況の煽りを受けて、1933年、運営会社の松竹は、劇団に対して全部員の給料減額を通告。
当時は、芸能人の地位はとても低く、ひどい待遇で働かされていたこともあり、この通告に対してある人物が声をあげます。
それが、劇団の男役トップスターで18歳の「水の江瀧子(愛称:ターキー)」でした。
○水の江瀧子 ー 男装の麗人
— 夢郎(ぼうろう) (@FrTaxz) August 27, 2023
水の江瀧子というと、私は子供の頃nhkのジェスチャーの人というイメージがあったが、戦前に「男装の麗人」として国民的人気を博したのは彼女だった。宝塚より早く松竹歌劇団の第一期生として入団。日本の少女歌劇史上初めて男役で「男装の麗人」となる。 pic.twitter.com/jKTXwWFnoo
当時、ファンクラブ会員が2万人以上いた大人気スターが自ら訴えたことでマスコミも大きく取り上げ、「ターキーストライキ」との異名も。
水の江は、「絶対反対」と抗議し、本格的な闘争に発展していったのです。
しかし、松竹側は、「水の江をクビにする」と通告し態度を変えません。
ついには、少女部員230名以上が「神奈川県湯河原温泉旅館」に立て篭もる事態に発展してしまいます。
警察も出動する大騒ぎとなったのです。
この「ターキー」こと水の江瀧子は、橘アオイ先輩のモデルの1人ではないかとの予想もあります。
大和礼子のモデル飛鳥明子もストライキ
この東京での騒ぎに刺激を受けた大阪「松竹楽劇部」(笠置シヅ子所属)。
こちらも会社側に、待遇の改善を要求しました。
しかし、会社側が拒否。
そのことに反抗した人気スター・飛鳥明子をリーダーに舞台をサボタージュします。
この飛鳥明子は「ダンスの神様」と言われるほどのバレエの名手で当時のトップスター。
大和礼子=飛鳥明子か?#OSK日本歌劇団 #ブギウギ #蒼井優 https://t.co/d6w8Sy49OD pic.twitter.com/VfqbpOOOZv
— またきち (@mataemon1) June 22, 2023
ブギウギの大和礼子のモデルとされている人物です。
大阪組は、飛鳥明子を筆頭に、笠置シヅ子も含めて70人余りが高野山金剛三味院に立てこもる事態となりました。
当時、笠置シヅ子は18歳で、「トップスター10選」に選ばれるほど人気が上がってきていた頃でした。
高野山への立てこもり10日間続き、東京組同様にマスコミに取り上げられ話題に。
ついに、イメージダウンを恐れた松竹側が彼女たちの要求を飲む形で決着します。
飛鳥明子は解雇処分
その後、東京組の水の江瀧子は謹慎処分、大阪組の飛鳥明子は解雇処分となりました。
水の江瀧子の自伝によれば、会社側に突きつけた「26か条の要求」はほぼ通ったとのことでした。
(内容は、低賃金・不潔な楽屋・栄養不足の弁当など)
東京・大阪それぞれのリーダーに処分が下されたものの、要求はほとんど認められたことから、少女たちの勝利で幕を閉じた形になります。
現在でも、芸能事務所とタレント・アイドルの間には様々な問題が起こっていますよね。
ただ、当時は労働者の権利が今ほど保障されていませんでしたから、少女たちが起こした「桃色争議」は、世論の同情を味方につけたのが勝利の一因だったようです。
飛鳥明子は教師として復帰するも・・・
ストライキの責任をとって辞めさせられた飛鳥明子でしたが、その後、結婚。
さらに、「松竹楽劇部」の教師として復帰することができたそうです。
劇団で後輩たちの振り付けを担当していた飛鳥礼子でしたが、残念ながらそのわずか4年後(昭和12年)に29歳の若さで亡くなってしまいます。
詳しい原因は不明ですが、病気を患っていたとのことでした。
その頃はまだ笠置シヅ子氏は上京前だったので、大切な後輩の東京以降の活躍ぶりを見られずに亡くなってしまったことになります。
ちなみに、飛鳥明子の夫は、松竹楽劇部でギタリストとして活躍した人物。
ドラマ内のUSK専属ピアニスト「股野義夫のモデル」ではないかと予想されています!
まとめ
今回は、朝ドラ「ブギウギ」で描かれたストライキ(桃色争議)について取り上げました。
実際に起きた実話だということで、簡単に振り返りましたが、まだ10代の笠置シヅ子さんにとっても衝撃的な出来事だったのではないかと思われます。
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