朝ドラ「ブギウギ」で、花咲に落ちた鈴子を受け入れてくれた恩人・林部長。
見た目は怖そうですが、団員たちを優しく見守るお父さん的な存在です。
そんな橋本じゅんさん演じる林部長にはモデルがいるのでしょうか?
史実では、なんと宝塚から引き抜かれた人物であることが判明しましたので、詳しくご紹介していきます!
【ブギウギ】USK林部長は橋本じゅんさんが演じる
戦後のスター歌手・笠置シヅ子をモデルにした物語「ブギウギ」。
花咲音楽学校(史実:宝塚音楽学校)に落ちた鈴子を救ってくれたのが、梅丸少女歌劇団(USK)の音楽部長である林嶽男でした。
- 林嶽男(演:橋本じゅん)
- 梅丸少女歌劇団の音楽部長・現場責任者
- 優しくて面倒見が良い
- 赤い液体を愛飲
林部長は、鈴子(澤井梨丘)の歌声を聞き、「入れたれや。どうせすぐ辞めていくやつもいるんやから。」と入団をOKします。
鈴子に何か特別なものを感じたのかもしれませんね。
子役を演じる澤井梨丘さんの歌声は、確かに惹き込まれる魅力がありました!
基本的には、練習生たちの教育は大和礼子や橘アオイなどに任せている様子。
林部長は、陰から見守っているお父さん的な存在のようです。
そして、林部長といえば、謎の「赤っぽい液体」を小瓶に入れていつも飲んでいるのがお決まり。
「まさか仕事中に飲酒している?」と視聴者も気になっていたことでしょう。
2023年10月10日放送の第7話で、
マムシの生き血
であることが判明!
がんばっている研究生をさりげなく気遣ってくれる #林部長(橋本じゅん)です。みんなのこと、ちゃんと見ていてくれているんですね。
— 朝ドラ「ブギウギ」公式 (@asadora_bk_nhk) October 10, 2023
そして…あのビンの中身が明らかになりましたね…😱#ブギウギ pic.twitter.com/8heIjD9gyz
撮影では、「ざくろジュース」が入っているそうです!(ブギウギのインスタより)
滋養強壮のためとは言え、そんなに仕事がハードそうにも見えないのも不思議なところ。
USKはまだ歴史が浅い劇団なので、林部長なりに色々と背負って頑張っているのかもしれません。
さて、そんな部長の「生き血」エピソードも、実は史実に基づいたものなので、次の章で詳しくご紹介します。
【ブギウギ】林部長のモデルは誰?史実を調査!
朝ドラ「ブギウギ」で鈴子たちを支える、梅丸少女歌劇団の林部長。
林部長のモデルはいるのでしょうか?
調査したところ、
松本四郎(まつもとしろう)
という人物がモデルの可能性が高いことが判明しています!
詳しくみていきましょう。
宝塚の音楽講師の経歴も
林部長のモデルと言われている松本四郎さんは、1898年(明治31年)生まれ。
東京音楽学校(現:東京藝術大学)のご出身です。
史実によれば、
- 1921年3月 宝塚少女歌劇団の音楽を担当
- 1922年4月 松竹楽劇部生徒養成所に移籍
という経歴で、1年間ほどは宝塚で音楽講師や作曲の担当をしていたんですね!
そして、宝塚に対抗して作られた「松竹楽劇部(USKのモデル)」の設立の際、引き抜かれた人材の1人が松本志郎さんでした。
他にも、舞踏家の楳茂都陸平、作曲家の原田潤らが宝塚から移籍。
そして松本四郎さんは、松竹の養成所で音楽部長を任されることになります。
宝塚でスキャンダル?
松本四郎さんが移籍する直前、実はスキャンダルが発生していたようです。
1921年7月、宝塚少女歌劇団で当時の娘役として活躍していた「泉蘭子(澤蘭子)」との恋愛問題が明るみに。
宝塚歌劇団7期生の澤蘭子さんが美しすぎて胸が痛い pic.twitter.com/ZqbFWpt6L2
— おじゃこ (@sakanazuca) March 30, 2014
当時の松本四郎さんは20代前半ですから、恋愛関係になってもおかしくはありません。
そして、泉蘭子はその騒動を受けて宝塚を退団に追い込まれてしまいます。
泉蘭子が18歳になったタイミングで2人は結婚しますが、のちに離婚。
その後、泉蘭子さんは女優として長く活躍されていきます。
このような一連の騒動で、松本四郎さんが宝塚にいづらくなったことも、移籍の理由なのかもしれません。
笠置シヅ子をおまけ合格させる
「ブギウギ」で鈴子を追加合格させるエピソードがありましたが、これは事実。
身長が小さいことが理由で、宝塚音楽学校に落ちてしまった笠置シヅ子(当時12歳)。
「道頓堀に宝塚みたいな劇団がある」との噂を聞き、松竹楽劇部の事務所に突撃するのです。
その際に団員は募集してしなかったそうですが、なんと3日間も通い詰めて熱弁していたそうなんです。
なんぼ身体がちっちょうても、芸に変わりはないです!
どんなことでも辛抱しますさかい、どうかお願い申します!
そんなシヅ子の話を奥で聞いていたのは、当時の音楽部長の松本四郎。
松本四郎さんは、
ようしゃべるオナゴやなあ。
そないにしゃべれるのやったら、身体もそう悪いことないやろ。
よっしゃ、明日から来てみなはれ!
とシヅ子の入団を許可したんだとか。
本当に、大阪のドラマのようなやりとりがあったんですね。
このように、松本部長は、シヅ子にとって救いの神であり恩人だったのです。
シヅ子に生き血を飲ませる
さて、ブギウギでの林部長は「マムシの生き血」を愛飲していましたが、これもほぼ本当の話なんです。
体の小さいシヅ子は、先輩たちから「豆ちゃん」と呼ばれていました。
それでも、松本部長に恩を返そうと毎日努力していたそうです。
そんなシヅ子のことを目にかけていた松本部長は、シヅ子のために
屠殺場から牛の生血を瓶に詰めてきて飲ませていた
というエピソードが。
今でこそ身長を伸ばすために牛乳を飲むという習慣はありますが、まさか血を飲ませるとは・・・。
これは笠置シヅ子氏の自叙伝で語られているので、間違いないでしょう。
※成人の笠置シヅ子の身長は150cmほどなので、効果は不明。
歌えるようになったのは松本先生のおかげ
笠置シヅ子氏が「スイングの女王」として人気を博していた1939年。
ある雑誌で、笠置シヅ子氏はインタビューにこう答えたそうです。
「歌は誰に習ったのか?」という質問に対し、
松本四郎先生。
あてがどうにか歌えるようになったのは、この先生のおかげだす。
先生は、クラシックものなぞ、ひどく厳格でしたが、「ジャズはパーソナリティが第一や」言やはって、勝手に歌わしてくれたもんです。
このように、松本四郎は笠置シヅ子の光る個性を生かし、育ててくれていたのです。
シヅ子の歌の基礎には、松本四郎という人物がいたということで、出会うべきして出会ったのかもしれませんね。
代表曲は「桜咲く国」
そんな松本四郎さんですが、作曲家や音響担当としても活躍されていました。
特に有名なのは、
「桜咲く国」
という曲です。
こちらは、1930年(昭和5年)に発表され、OSK日本歌劇団の「春のおどり」、松竹歌劇団「東京踊り」のテーマソングとして使われていました。
また、この歌に合わせて桜パラソルの傘を回すパフォーマンスが生まれ、「傘回し」が誕生したのです。
OSK日本歌劇団が「近鉄グループ」の傘下にあった際には、野球の応援歌としても使われていたので、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
その後、野球チームが再編する2018年頃までは、東北楽天ゴールデンイーグルス(旧バッファローズ)の私設応援団の中でテーマソングとして使われていたそうです。
東宝に移籍
松本四郎さんは、その後、東宝(宝塚の系列)に移籍。
古巣に戻ってしまったことになります。
松本四郎さんの移籍と同時に、「桜咲く国」は「東京踊り」(松竹歌劇団)では使われなくなりましたが、OSK日本歌劇団では引き続き使用されていました。
東宝に移籍した松本四郎さんは、帝国劇場のオペラ、ミュージカルなどの音楽担当として活躍されたそうです。
まとめ
今回は、朝ドラ「ブギウギ」で梅丸少女歌劇団USKの林部長のモデルについて取り上げました。
史実によれば、モデルは作曲家の松本四郎(松本四良)さんで、笠置シヅ子を見い出した重要な人物であることがわかりました。
ドラマでも、どのように鈴子と関わっていくのか注目していきましょう!
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