吉本興業の御曹司であった「吉本穎右(よしもとえいすけ)」さん。
戦後のスター歌手・笠置シヅ子さんと恋愛関係であったことで知られています。
一体、どんな人物だったのでしょうか?
今回は、吉本穎右さんのプロフィール、死因や大学、戦争の出兵などをwiki風にご紹介します。
吉本穎右(吉本えいすけ)の顔画像・写真がイケメン?
戦後のスター歌手・笠置シヅ子さんと恋人関係にあった「吉本穎右(よしもとえいすけ)」さん。
笠置シヅ子さんは、吉本穎右さんの見た目について、こう語っています。
眉目秀麗で米俳優のジェームズ・スチュアートに似た雰囲気
一体、どんなお顔なのでしょうか?
調査したところ、吉本穎右さんのこのような顔画像・写真が発見されました!
吉本さんは一般人であったため、写真や画像はほとんど公表されていません。
この写真では背広を着ているので、実家の吉本興業に入社した頃だと思われます。
写真では分かりにくいですが、育ちの良さや品の良さが出ている美男子だったそうですよ!
吉本穎右のwiki風プロフィール!死因・大学・戦争は?
吉本穎右さんのプロフィールについて、詳しくみていきましょう!
吉本穎右さんのプロフィール
まずは簡単なプロフィールです。
- 名前:吉本穎右
- 読み方:よしもとえいすけ
- 初名:吉本泰典
- 生年月日:1923年10月26日
- 出身地:大阪府
- 死亡日:1947年5月19日(享年24歳)
このように、若くしてその生涯を終えています。
吉本穎右さんの家族構成
父親と母親がこちらです。
父:吉本泰三【吉本興業 創業者】
母:吉本せい【吉本興業 初代社長・会長】
このように、吉本穎右さんの父親は、吉本興業の創業者です。
吉本家の次男として誕生しましたが、年の離れた長男は、若くして他界。
他にも兄弟が6人(全員が姉)いましたが、その姉たちも早くに亡くなっています。
そのため、1人残った吉本穎右さんが吉本興業の御曹司として育てられたというわけです。
また、後ほど詳しく紹介しますが、父親と母親の他には、
内縁の妻:笠置シヅ子(本名:亀井静子)
娘:亀井エイ子
という家族構成です。
吉本穎右さんの生い立ち・戦争
吉本興業の創始者である父親は、39歳の時に他界。
この時、吉本穎右さんは生後4ヶ月で生まれたばかりでした。
そのため、母・吉本せいが吉本興業部(吉本興業)の後を引き継ぎ、会社運営を行なっていたのです。
この夫婦は、朝ドラ「わろてんか」のモデルとなっています。
吉本興業の後継として大切に育てられていた吉本穎右さんは、幼い頃から病弱な体質でした。
また、戦時中、大学生であった1944年には「結核」にかかってしまい、学徒出陣の動員を免除されていました。
吉本穎右さんの学歴・出身大学
吉本穎右さんは、「北野中学(大阪府立北野高等学校)」を卒業後、「早稲田大学・仏文科」へと進学します。
吉本興業を背負うべく、叔父からは「帝王学」も学んでいました。
しかし、戦後の1946年には早稲田大学を中退。
吉本興業の東京支社に就職し、社長の見習いとして働きました。
吉本穎右さんと笠置シヅ子との出会い
大学在学中の昭和18年、21歳の時に歌手・笠置シヅ子と出会います。
吉本穎右さんは「笠置シヅ子の大ファン」だったそうで、知人の紹介で本人と対面することができたのです。
笠置シヅ子さんも、眉目秀麗な青年に一目惚れ・・・。
2人は9歳の年齢差があったものの、恋愛関係に発展し、翌年には結婚の約束をします。
その後、周囲に結婚を認めてもらうために大学を中退し、吉本興業の東京支社で働くことに。
この頃、笠置シヅ子さんとは事実婚状態で、吉本穎右さんの子供を妊娠します。
そして、当時33歳だった笠置シヅ子さんは、出産を機に、芸能界から引退することを考えていました。
このように2人で結婚に向けて準備を進めていたところに、悲しい出来事が起きてしまいます。
吉本穎右さんの死因
吉本穎右さんは、22歳の時に風邪をこじらせ、持病の「結核」が悪化してしまいます。
病気の治療のために実家の大阪に帰郷し、笠置シヅ子とは離れ離れとなります。
結核は、当時は不治の病だったため、治療の甲斐もなく、昭和22年5月19日に亡くなってしまいます。
享年24歳でした。
臨月の笠置シヅ子さんは、絶望の中で、吉本穎右さんの浴衣を握りしめながら、昭和22年6月1日に娘を出産します。
女の子なら「エイ子」という遺言と貯金を残して逝ってしまった吉本穎右さん。
遺言通りに、女の子には「亀井エイ子」という名前がつけられました。
吉本穎右さんの娘の現在
吉本家の唯一の血筋である「亀井エイ子」さん。
息子も失ってしまった祖母・吉本せいから、「孫を引き取りたい」との申し出があったそうです。
しかし、笠置シヅ子さんは、自身が「養女」であったことから、同じ境遇にはさせたくないと断っています。
笠置シヅ子さんは、生涯、結婚することはなく、一人でエイ子さんを育て上げました。
そんな亀井エイ子さんは、2023年現在、76歳でご健在です。
まとめ
今回は、笠置シヅ子のパートナーであった「吉本穎右(吉本えいすけ)」さんについてwiki風プロフィールを画像と共にご紹介しました。
死因は、持病の「結核」で、大学は「早稲田大学」、病弱であったため戦争には行かず、戦後すぐに亡くなっています。
吉本家の血筋としては、娘「亀井エイ子」さんが現在もご健在です。
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