趣里さんが主人公を演じる朝ドラ「ブギウギ」。
ヒロイン鈴子の憧れの先輩が蒼井優さん演じる「大和礼子」です。
凛とした佇まいが素敵な大和礼子ですが、モデルは一体誰なのでしょうか?
また、その後どうなるのか、史実を元にまとめました。
ブギウギ大和礼子の役どころ
朝ドラ「ブギウギ」では、蒼井優さんが「大和礼子(やまとれいこ)」を演じています。
大和礼子(やまと・れいこ)
・梅丸少女歌劇団(USK)第1期生の娘役
・劇団を引っぱるトップスター
・鈴子のあこがれの先輩
大和礼子は、鈴子は踊りや歌への大切な精神を礼子から受け継いでいくという大切な先輩役です。
そんな大和礼子は、東京の出身という設定。
歌劇団に入ることを父と母に反対された礼子は、家出同然で大阪に出てきたのです。
後に判明しますが、親から反対され、梅丸も花咲も受験するお金が無くて困っていたところに、梅丸の社長が「授業料も何もいらん」と拾ってくれたようです。
大和のバレエの先生と梅丸の社長が知り合いだったというご縁があり、梅丸に来ることができたんですね。
大熊社長のモデルについては、こちらの記事で紹介しています。
この大和礼子の才能と努力のおかげで、劇団は人気を博していきます。
大和は、同期の橘ことを「誰よりも梅丸愛に溢れてる」と話していましたが、実は本人が一番、梅丸(特に社長)に恩を感じているのではないでしょうか。
そんな大和はでしたが、劇団メンバーらの待遇改善を求めるストライキ(桃色争議)の中心メンバーとなり、会社と対立することになってしまいます。
このことが彼女の運命を変えていくことに・・・。
ちなみに、大和礼子を演じているのは、蒼井優さん。
2歳からクラシックバレエを継続中で「大の宝塚ファン」なんだそうですよ!
ブギウギ大和礼子のモデルはいない?
気になるのは、大和礼子というキャラクターにモデルはいるのか?という点ですね。
梅丸のモデルの松竹楽劇部の最初のスターには「飛鳥明子」という人物がいました。
ドラマと同じく、笠置シヅ子の憧れの存在だったそうです。
そのため、巷では、この「飛鳥明子がモデルでは?」と予想する声が出ています。
しかし、この点について、ドラマプロデューサーの橋爪氏がで否定しています。
今回公式にモデルとして描いているのは、以下の3人です。
— ドクター橋爪│プロデューサー@ブギウギ (@drhashizume) October 9, 2023
福来スズ子が笠置シヅ子さん
羽鳥善一が服部良一さん
茨田りつ子が淡谷のり子さん
それ以外は、いろいろ参考にさせてもらいながらキャラクターを作っています。
上記の通り、モデルがいるのは、
- 福来スズ子(モデル:笠置シヅ子)
- 羽鳥善一(モデル:服部良一)
- 茨田りつ子(モデル:淡谷のり子)
のみ。
それ以外は、複数の人物を参考にしてキャラクターを作っているとのことでした。
つまり、大和礼子のモデルは「飛鳥明子」とは言い切れないということです。
ただ、「大和礼子」と「飛鳥明子」で字面のバランスが似ていますし、劇団のトップスター役ということからも、かなり飛鳥明子さんに近く描かれていると思われます。
次章で詳しくみていきましょう!
ブギウギ大和礼子モデルに近いのは飛鳥明子!史実はその後どうなる?
ブギウギの大和礼子のモデルに近いとされる「飛鳥明子」とは一体どんな人物だったのでしょうか?
史実を調査すると、「ダンスの神様」とも言われるほど名ダンサーとして活躍したのですが、悲しい運命を辿ったということがわかりました。
そんな飛鳥明子さんの人生を簡単にみていきましょう!
開業医の娘として生まれる
飛鳥明子(本名・松田貞子)さんは、1907年(明治40年)に、大阪の開業医の娘として誕生。
笠置シヅ子さんは、1914年(大正3年)生まれですので、飛鳥は7歳年上の先輩です。
飛鳥明子さんは、高等女学校を卒業後は、松竹楽劇部(梅丸のモデル)に入団。
クラシックバレエの名手として活躍し、「関西クラシックバレエの草分け」「実力は日本一」「伝説のプリマドンナ」などと称されていました。
飛鳥明子はさん、OSKの初代トップスターとしての大輪の花を咲かせていきます。
徹底的に美にこだわる
飛鳥明子さんといえば、トゥシューズの爪先で踊る「トゥダンスの名手」。
当時は、まだクラシックバレエを見たことがない人が多かったこともあり、その美しさで観客を魅了したそうです。
飛鳥明子は、その「美しさ」を磨くことに徹底的なこだわりがあり、
練習は非公開
にして、一人っきりで黙々と練習に集中していたんだとか。
「伝説のダンサー」と言われる活躍の裏には、血のにじむ努力があったんですね・・・。
稽古しすぎで守衛さんを驚かせる
そんなストイックな飛鳥明子さんには、いくつかの逸話が残されています。
早朝から夜遅くまで自主練習を繰り返していたことから、しばしば守衛さんを驚かせていたそうです。
笠置シヅ子は、飛鳥明子について、
「飛鳥さんを神様みたいに思っていた」
「あれくらいの立派は芸術家はいない」
と自伝で称賛しています。
一方で、そのストイックすぎる姿勢を「ちょっと気狂いみたいな感じでした」とも・・・。
飛鳥明子さんが、どれほど稽古に打ち込んでいたのかが伺えます。
血が流れるまで練習に打ち込む
もう1つ、飛鳥明子さんの逸話が残されています。
大阪松竹楽劇部、一番最初のスター・飛鳥明子さん。笠置シヅ子さんのみならず、水の江瀧子さんも尊敬する人として挙げている。
— 小針侑起 (@peragoro22) October 9, 2023
トゥシューズが簡単に手に入らない大正時代、手製のトゥシューズを履いて、爪先から血を流しながらバレエの訓練に明け暮れたというエピソードも。 pic.twitter.com/AMV0dh87cD
上記の通り、トゥシューズが簡単に手に入らなかった時代に、足先に包帯を巻いて、血を滲ませながらバレエの稽古に打ち込んでいたそうです。
ちなみに、大和礼子を演じる蒼井優さんは、映画「花とアリス」内で、トゥシューズの代わりに「紙コップとガムテープ」でバレエを踊るシーンがありました。
また、飛鳥明子さんは、トゥーシューズの足先に詰める綿を、普通の5分の1ほどしか使わなかったというエピソードもあります。
「トゥダンスは裸足で歩いているようように見えなきゃ価値がない」と当時のシヅ子らに教えていたそうです。
笠置シヅ子の初舞台を笑う?
「ブギウギ」で、鈴子は初舞台「四季の宴」で「水滴の役」を演じていました。
「四季の宴」のリハーサル風景を少しご紹介します。
— 朝ドラ「ブギウギ」公式 (@asadora_bk_nhk) October 14, 2023
「胡蝶の舞」同様、こちらも #ブギウギ のための書き下ろし作品です。
単独公演になって舞台装置も作られました。男役トップの #橘センパイ(翼和希)が階段を降りてくる様子がカッコいいですね…!
滴ちゃんの踊りもカワイイです! pic.twitter.com/H5zXImAPSb
実際に、笠置シヅ子さんの初舞台は、昭和2年の「日本新八景」で、「水玉の役」だったそうです。
しかし、化粧の仕方がよく分からず、顔も体も真っ白になっている笠置さんを見て・・・
「なんや、白壁が歩いてるようなもんやな」
と飛鳥明子さんに笑われたというエピソードも残っています。
ドラマでは、口紅を塗りながら、鈴子に大切なことを教えるシーンがありましたが、実際はちょっと違っていたみたいですね。
ただ、憧れのトップスターの飛鳥さんに話しかけてもらえただけでも嬉しかったでしょう。
ストライキの責任をとって退団
この飛鳥明子の運命を変えてしまったのは、1933年の夏に発生した「桃色争議」です。
「ブギウギ」でもそのエピソードが描かれますが、その中心人物の一人が飛鳥明子。
不況の煽りを受けて、運営会社が「賃金の削減」などを通告したことがきっかけでした。
怒った劇団員らは、待遇改善を求めて、舞台をサボタージュ(ストライキ)し、笠置シヅ子らとともに高野山に篭ります。
詳しくはこちらの記事で紹介しています。
少女たちが起こしたストライキは、マスコミに大きく取り上げられました。
イメージダウンを恐れた運営会社側(松竹)は、要求を受け入れますが、ストライキを先導した飛鳥明子は責任をとって退団することになるのでした。
29歳の若さで病死
劇団を去った飛鳥明子は、その後、結婚。
「振付師」として劇団に戻ってくることができたのですが、1937年に「結核」により亡くなってしまうのです。
一人娘を残して、29歳の若さでした。
このように、伝説のプリマドンナは、若くしてその生涯を終えてしまいます。
しかし、飛鳥明子らがストライキを起こさなければ、劇団員が多数辞めてしまい、劇団自体が無くなってしまっていたかもしれません。
梅丸のモデル「松竹楽劇部」はその後も色々な苦難を乗り越えて、現在もOSK日本家劇団として受け継がれているのです。
まとめ
今回は、朝ドラ「ブギウギ」の大和礼子のモデルが誰なのか?についてご紹介しました。
明確なモデルはないものの、その立ち位置やエピソードからは当時のトップスター「飛鳥明子」である可能性がかなり高いでしょう。
史実では悲しい運命を辿る飛鳥明子ですが、ドラマではどのように描かれていくのでしょうか。
ますます目が離せませんね!
モデルに関する記事はこちらからもどうぞ。
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