朝ドラ「ブギウギ」に登場する人物の1人、梅丸の大熊社長。
桃色争議では、大和礼子(蒼井優)とのエピソードや関係性にも注目でしたね。
この梅丸の大熊社長には実在モデルがいるのでしょうか?
詳しく調査しましたので、ご紹介していきます!
【ブギウギ】梅丸の大熊社長の役どころ
戦後のスター歌手「笠置シヅ子」をモデルにした朝ドラ「ブギウギ」。
ヒロインのスズ子が所属するUSK(梅丸少女歌劇団)の運営会社は、日本随一の興行会社です。
そんな会社のトップが、
大熊熊五郎(おおくまくまごろう)
です。
すごく強そうな名前・・・。
そんな大熊社長の役どころは、
・金勘定に厳しい経営者
・芸事を愛している
・涙もろい一面も?
というキャラクターです。
セリフは多くはないものの、大きな会社の社長というだけあり、さすが存在感があります。
物語の中で気になるのは、蒼井優さん演じる劇団トップスター「大和礼子」との関係性です。
大和がまだ10代の頃、両親にバレエを反対され、梅丸も花咲も受験するお金がありませんでした。
しかし、大和は「親と縁を切ってでも、踊りを続けたい」という覚悟を持っていました。
そんな大和に「お金のことはいいから、(梅丸に)来なさい」と声をかけたのが大熊社長だったのです。
大和のバレエの先生と大熊社長が知り合いだったのがきっかけでした。
それからは、大和にとっては、大熊社長が親代わりのような存在。
しかし、団員たちを守るために、大和礼子は、その大熊社長と対立することになるのでした・・・。
そんな大熊社長を演じているのは、
俳優の升毅(ますたけし)さん
です!
- 年齢:67歳(2023年10月現在)
- 生年月日:1955年12月9日
- 出身:東京都
- 身長:180cm
- 特技:関西弁(ネイティブ)
- 趣味:野球・料理
升毅さんは朝ドラの常連で、今回がなんと8回目の出演となります。
升さんが感じる大熊社長の人物像は、「社長として全体のことを考えて動いている人」とインタビューで答えておられました。
【ブギウギ】梅丸の大熊社長のモデルは実在する?
そんな梅丸の大熊社長には実在のモデルがいるのでしょうか?
モデルは松竹の創業者
調査したところ、公式で発表はされていませんが、かなり近い人物がいました。
それが、
白井松次郎(しらいまつじろう)
です。
- 名前:白井松次郎
- 生年月日:1877年12月13日
- 没年月日:1951年1月23日
- 年齢:満73歳没
白井松次郎は、一代で「松竹」を築き上げた、いわゆる関西芸能界のドン。
歌舞伎、演劇、文学、落語、映画など幅広くエンターテイメントを手がけました。
そんな「松竹」は、「東宝」「東映」と並び、日本を代表する映画会社へ。
年間興収120億円以上を誇る大企業へと成長しました。
そして、この白井社長は、USKのモデルである現在の「OSK日本歌劇団」を創業した人物なのです。
歌舞伎が全ての始まり
松竹は、歌舞伎などの「伝統芸能の保存」にも力を入れています。
実は、松竹が創業したきっかけが「歌舞伎」だということをご存知でしょうか?
もともと、白井松次郎の家業は、芝居小屋の売店の経営でした。
1890年(明治23年)、京都の祇園館で行われた歌舞伎を、売店の手伝いをしながら見ていた松次郎(当時14歳)。
双子の弟・大谷竹次郎ともに、その舞台に釘付けとなり、心を動かされたのでした。
この歌舞伎の舞台がきっかけで、売店の経営だけでは飽き足らず、歌舞伎を主とした演劇の興行を自分らで行うようになったのです。
このように、芸事への感動と情熱が、松竹創業の始まりだったというわけです。
松竹を創業
その後、1895年(明治28)に、「松竹」として創業。
「松次郎」と「竹次郎」の2人の名前の1文字をとって「松竹」と名付けられたのでした。
本日12月13日は松竹株式会社を創業した双子の兄弟、白井松次郎さんと大谷竹次郎さんの生誕の日です。 pic.twitter.com/pwEnfAnVDl
— 濹東キネマ☆濹東名人会 (@bokutoukinema) December 12, 2017
2人は切磋琢磨しながら、次々と興行を成功させ、1902年(明治35)には、「松竹合資会社」を設立。
新進気鋭の興行師としての頭角を現し、関東にも進出していきます。
その後、兄・松次郎は関西を、弟・竹次郎は東京を中心に活動し、数々の劇場を手中に収めて一気に勢力を拡大していくのでした。
少女歌劇を手がける
そんな中、松次郎は1922年(大正11年)に、USKのモデルとなる「松竹楽劇部(現:OSK日本歌劇団)」を創設。
松次郎は、大阪の道頓堀に建設した西洋劇場「松竹座」で、西洋音楽を取り入れた舞踊を公演することを思いついたのです。
当時は、宝塚少女歌劇団が活躍していたこともあり、その舞台を実際に見て「少女歌劇だ!」と確信したんだとか。
このように、OSKは映画上映の幕間の興行としてスタートしていきました。
大阪松竹座は、舞台芸術と映画上映を兼ね備える新しいスタイルの劇場として人気を博していきます。
しかし、不況の影響での「桃色争議」、戦争や経営不振・・・・。
そんな厳しい時代を乗り越えて、現在までその歴史は受け継がれているのです。
ちなみに、音楽部長の「林部長」のモデルは、実際には作曲家としても活躍していた人物でした。
【ブギウギ】白井松次郎と大和礼子モデルの関係は実話?
そんな白井松次郎でしたが、ドラマで描かれたような劇団員との関係はあったのでしょうか?
大和礼子のモデルは、劇団でトップスターだった飛鳥明子だと言われています。
この記事にあるように、飛鳥明子は、開業医の娘として生まれています。
ただ、「両親の反対を押し切って入団した」というような史実は確認できないのです。
飛鳥礼子が得意であった「クラシックバレエ」は当時まだ珍しかった時代。
西洋のダンスであるバレエを習わせていたということは、芸事に対してある程度理解があったのではないかと思われます。
そのため、大熊社長と大和礼子のエピソードは、ドラマのオリジナルの可能性が高いのではないでしょうか。
まとめ
今回は、朝ドラ「ブギウギ」に登場する梅丸の大熊社長について取り上げました。
大熊社長のモデルは、松竹の白井松次郎の可能性が高いと思われます。
松竹創業の原点が意外にも「歌舞伎」ということで、伝統芸能を心から愛していた人物でした。
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