朝ドラ「ブギウギ」のモデルとして再度注目を浴びている「笠置シヅ子」さん。
笠置シヅ子さんは、あの美空ひばりさんとは"ライバル関係"であったと噂されています。
そんな笠置シヅ子さんと美空ひばりさんは、実際に共演する機会はあったのでしょうか?
また、NHKの「紅白歌合戦」でも共演歴があったのか気になります。
そこで今回は、
- 笠置シヅ子と美空ひばりの共演歴は?
- 紅白での対決はあった?
について詳しくご紹介していきます。
笠置シヅ子と美空ひばりの共演歴は?
「東京ブギウギ」などのヒット曲を歌った戦後のスター歌手・笠置シヅ子さん。
2023年の朝ドラ「ブギウギ」の題材として、そのドラマチックな人生が再注目されています。
そんな笠置シヅ子さんが歌手業を引退するきっかけには、新星のごとく現れた天才少女「美空ひばり」の存在があったとされています。
当時、親子ほどの年齢差があったものの、「大ブギ小ブギ」などと比較されることが多かった二人。
また、美空ひばり側との「楽曲使用トラブル」などがあったことでも知られています。
そんな笠置シヅ子さんと美空ひばりさんは、共演NGだったとの噂もありますが、実際はどうだったのでしょうか?
1951年2月のラジオ番組で初共演
笠置シヅ子さん(37歳)と美空ひばりさん(14歳)は、1951年2月21日のNHKのラジオ番組「歌の明星」で初めて共演しています。
この日、笠置シヅ子さんと美空ひばりさんは”公式の場”で、初めてお互いに自己紹介。
笠置シヅ子さんと美空ひばりさんは、この番組の中で「東京ブギウギ」と「東京キッド」をデュエットしています。
(※残念ながら音源などは残っていないようです)
この時は、美空ひばりさんのアメリカ巡業における「笠置シヅ子の楽曲使用トラブル」が報じられたばかりの頃でした。
そのため、美空ひばり側のマネージャーがNHKにこの企画を持ち込み、「二人の仲直り」を演出する狙いがあったとかなかったとか・・・。
この時、NHKのスタジオで撮影された貴重な写真がこちらです!
仲が良さそうに腕を組んでいますね!
メディアでは「笠置シヅ子と美空ひばりは”仲直り会見”をした」と報じられたそうですが、実際にはどうだったのかは分かりません。
※非公式の場での初めての出会いは、3年前の横浜国際劇場の楽屋。
1948年、「ベビー笠置」として笠置シヅ子のモノマネで人気だった美空ひばり(11歳)を、笠置シヅ子(34歳)は面白がり、笑顔で対応したとの話が残っている。その時の写真を、美空ひばりは自宅に大切に飾っていたという。
1955年12月の「オールスター歌合戦」でも共演
それから約4年後。
笠置シヅ子さん(41歳)と美空ひばり(18歳)さんは、TBSの年末番組「オールスター歌合戦」でも共演していることがわかりました。
NHKの「紅白歌合戦」の裏番組として始まったこの番組は、現在の「日本レコード大賞」の前身。
会場は、1981年まで有楽町にあった「日本劇場」でした。
第一回(1955年)の放送の女性側の出演者には、
- 美空ひばり
- 島倉千代子
- 菅原都々子
- 淡谷のり子
- 沢村ミツ子
- 笠置シヅ子
- コロムビア・ローズ ほか
の名前が記録されています。
残念ながら、この番組の情報はほとんどなく、歌唱順や歌唱曲は不明です。
20:50〜23:00の約2時間の番組でしたが、笠置シヅ子さんと美空ひばりさんはどこかで顔を合わせていることは間違い無いでしょう。
朝ドラ「ブギウギ」では「オールスター男女歌合戦」という民放番組で、水城アユミ(美空ひばりがモデル?)と福来スズ子(笠置シヅ子)が共演しています。
このTBSの番組をモデルにした可能性もありそうですね!
美空ひばりがモデルとされる「ブギウギ」の水城アユミについては、こちらの記事でご紹介しています。
笠置シヅ子と美空ひばりは紅白で共演しなかった理由とは?
笠置シヅ子さんと美空ひばりさんは、ラジオ番組とテレビ番組で2回共演していたことがわかりました。
ただ、NHKの「紅白歌合戦」では一度も共演歴がなかったのです。
これは一体なぜなのでしょうか?
笠置シヅ子の紅白出場歴
まずは、笠置シヅ子さんの紅白出場歴を見てみましょう。
年度/放送回 | 曲目 | 出演順 |
1952年(昭和27年)/第2回 | 買い物ブギ | 3番目 |
1953年(昭和28年)/第3回 | ホームラン・ブギ | 5番目 |
1953年(昭和28年)/第4回 | 東京ブギウギ | 7番目 |
1956年(昭和31年)/第7回 | ヘイ・ヘイ ブギ | 大トリ |
このように、笠置シヅ子さんは第2回〜3回まで出場していましたが、第5回〜第6回の紅白は出演は無し。
第5回(1954年)は歯の治療などの事情で、第6回(1955年)は、先ほどご紹介したTBS「オールスター歌合戦」に出場したためでした。
紅白に対抗する形でスタートしたTBSのこの番組は、「紅白との掛け持ちを禁止」していたことから、その年の紅白に笠置シヅ子さんの出演はなかったようです。
ただ、このことでNHK側と揉めたようで、翌年の第7回(1956年)は紅白を優先。
「ヘイヘイブギー」で大トリを務め、笠置シヅ子さんはこの紅白を最後に歌手業を引退されています。
※笠置シヅ子の1つ前は「宮城まり子」の「屑屋の歌」。
美空ひばりの紅白出場歴
一方、美空ひばりさんの紅白出場歴(一部)がこちらになります。
年度/放送回 | 曲目 | 出演順 |
1954年(昭和29年)/第5回 | ひばりのマドロスさん | 13番目 |
1957年(昭和32年)/第8回 | 長崎の蝶々さん | 大トリ |
このように、美空ひばりさんが紅白に初出場したのは、第5回(1954年)です。
1953年の第3回・第4回の紅白にも出場オファーはかかっていましたが、正月興行や年末公演との兼ね合いから辞退しています。
初登場した回(第5回)は、笠置シヅ子さんがちょうど出演していなかったこともあり、二人の共演は実現しませんでした。
さらに、1955年〜1956年は、美空ひばりさんはTBSの「オールスター歌合戦」を優先したため、紅白には出場していません。
このように、偶然なのか必然なのかはわかりませんが、笠置シヅ子さんと美空ひばりさんの出場回はすれ違っており、紅白で共演することは1度もなかったのです。
そして、最もドラマチックなのは、笠置シヅ子さんが大トリを務めた紅白の翌年、美空ひばりさんが大トリを務めたことです。
美空ひばりさんは紅白出場2回目にして、「長崎の蝶々さん」で赤組のフィナーレを飾ったのでした。
これはまさに「新旧交代」であったと語り継がれています。
笠置シヅ子さんは、紅白を最後に歌手業を引退し、女優業に専念することを決断しています。
笠置シヅ子さんがなぜ歌手を引退したのかについては、こちらの記事でまとめています。
笠置シヅ子の名曲集をご自宅で♪
まとめ
今回は、笠置シヅ子さんと美空ひばりさんの共演歴についてご紹介しました。
ラジオ番組や歌謡番組で2回の共演歴はあったことが確認できていますが、紅白歌合戦での共演はありませんでした。
歌手業を引退した笠置シヅ子さんは、その後女優業に専念しています。
こちらの記事では、笠置シヅ子の晩年についてご紹介しています。
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