戦後のスター歌手・笠置シヅ子さん。
40代で歌手を引退後は女優に転身し、晩年は、歌番組の審査員やCMなどで活躍されていました。
そこで今回は、笠置シヅ子さんの晩年の顔写真(画像)をご紹介していきます!
笠置シヅ子の晩年の顔写真・画像まとめ
戦後「東京ブギウギ」などで一世を風靡した笠置シヅ子さん。
その後は、1957年、42歳の若さで歌手業を引退しています。
そんな笠置シヅ子さんは、1985年に病死されていますが、その直前まで芸能活動をされていました。
それでは、晩年の笠置シヅ子さんの姿を写真(画像)で振り返っていきましょう。
「家族そろって歌合戦」の審査員(1966年〜1980年)
こちらが、テレビ番組で審査員をしていた時の笠置シヅ子さん(50〜60代頃)です。
1966年〜1980年までTBS系列で放送されていた歌番組「家族そろって歌合戦」。
この番組で、笠置シヅ子さんは「レギュラー審査員」として出演されていました。
放送開始された当時は52歳。
そして、1980年の放送終了(当時66歳)まで、審査員を務め上げていました。
「歌が下手でも元気ならいい!」と、いつもニコニコと優しい審査員だったそうです。
15年近くも出演していたので、笠置シヅ子さんといえば「審査員」というお茶の間のイメージが出来上がりました。
笠置シヅ子さんと言えば、歌手というより家族対抗歌合戦の審査員というイメージが強い。
— 徳右衛門 (@tokuemon) February 11, 2024
NHKをちょっと見たら来月からの朝ドラのPRをやっている。笠置シヅ子さん、私が子どもの頃の印象は
— hmm@NMB箱推し (@0344hmm0521) September 24, 2023
テレビの歌番組で審査員をやっている優しいオバサン
だったな。日本を代表する偉大な歌手だったことを知ったのは大人になってから。85年に亡くなった時、新聞の記事がめっちゃ大きかったな。
「水戸黄門」にも出演(1973年)
また、笠置シヅ子さんは、国民的ドラマ「水戸黄門」にも出演されていました。
水戸黄門への出演は、1969年〜1973年で計3回。
- 第1部 第18話「じゃじゃ馬ならし・津山」(1969年)おかね役
- 第3部 第3話「雲助珍道中・箱根」(1971年)茶店の婆さん役
- 第4部 第5話「黒いひげの黄門さま・長岡」(1973年)機屋婆役
得意の大阪弁を生かした軽妙な演技が受け、数多くのドラマや映画で活躍されました。
大岡越前第2部23話「鬼の目に涙」に笠置シヅ子さんがコテコテの大阪弁で出演されているが演技が自然で凄いなあ。面白い
— きー坊 (@UWF0303) September 14, 2017
「カネヨン」のCM(1981〜1983年)
そして、笠置シヅ子さんといえば、「カネヨン」のCM出演でも有名でした。
カネヨ石鹸の液体クレンザー「カネヨン」の新発売に合わせて、笠置シヅ子さんがCMキャラクターに。
当時の貴重なCM映像がこちらです。(当時69歳)
69歳のこの頃、笠置シヅ子さんは「卵巣癌」が見つかりました。
その後、手術で一度は回復したものの、翌年1985年3月30日に入院先の病院で亡くなられています。
享年は70歳でした。
笠置シヅ子さんが晩年を過ごした自宅について、こちらの記事でご紹介しています。
まとめ
今回は、昭和のスター歌手・笠置シヅ子さんの晩年の顔画像(写真)についてご紹介しました。
無くなる直前まで、明るい笑顔でお茶の間に元気を与えていた笠置シヅ子さん。
大スター歌手だったとうオーラを感じさせない、庶民的な雰囲気も人気の理由の1つだったようですね。
笠置シヅ子さんが歌手を辞めた理由については、こちらの記事でご紹介しています。
また、笠置シヅ子さんが生涯でただ一人愛したパートナー(吉本穎右さん)については、こちらの記事でご紹介しています。
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